アルミ缶の上にあるミカン

松山アンテナ

2016年5月に東京から愛媛県松山市に移住しました。

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僕と吉本新喜劇と肉屋のコロッケ~たつじいが亡くなって思ったこと~

僕の中で吉本新喜劇と言えば「土日のお昼にコロッケを食べながら見る番組」としてお世話になった。

 

食卓から離れたところにあるTVを目を凝らす時、「テレビばっかりみんとご飯食べ!」という母も吉本新喜劇の時は何も言わなかった気がする(忙しかっただけかもしれない)。

 

とにもかくにも僕は母が少し家事の休憩の意味合いも込めて買ってきた近所の商店街の肉屋のコロッケをおかずに吉本新喜劇を見るというのが楽しみだった。

 

僕がお使いに行くときは肉屋の店長におまけしてもらったり、つまみ食いして怒られたりした。肉屋のコロッケって家のとちがってソースなくても食べれるし美味しかった。

 

そんな生活が年を経るにつれてなくなっていった。

 

高校は部活動、大学は遊びや飲み会やバイト、社会人になると東京に行ったのでお昼に吉本新喜劇を見ることは無くなった。それと同時に「関西人は面白い」というステレオタイプの振りをされて困るシーンも増えた。

 

社会人になって初めて帰省した時、ふとTVを見ると吉本新喜劇がしていて、その日は土曜日だった。

 

偶然にもお昼ご飯のおかずはコロッケ。なにかこみ上げるものがあって「大切な思い出があるんだなぁ」とセンチメンタルにもなった。

 

あと、余談だけど関西深夜ローカル番組は最高だと今でも思ってる。

 

それからは実家に帰るたびに「土曜日のお昼は吉本新喜劇を見よう」と決めて帰った。

 しかし、お昼がコロッケというミラクルは最初の一回きりだった。

リクエストするのも違うなと思って控えている。

 

「僕がいない家の土曜のお昼ご飯事情もかわったんだなぁ」と想いを馳せたいところだったけど、そんなにコロッケの頻度が高かったわけでもなかった気がする。

 

「肉屋にコロッケを買いに行って、TVを見ながら食べる」という想い出は子どもの僕にとって特別なことだったんだと思う。

 

そう考えると今の何気ないことも特別に感じる日がくるんだろうな、と思ったり。

 

 

吉本新喜劇は「めちゃくちゃおもしろい!」「爆笑だ!」というよりは「いつものメンバーが色んな演題で自分のお得意のギャグを披露するという安心感がある」という方が自分の中でしっくりくる。

 

もっというと東京のお笑いが「瞬発力と流行」で構成されている「消耗品」的な構成がされている(少なくとも僕にはそんな気がした)のに対して、関西のお笑いは「笑いへの愛」というか「ギャグや演者の人柄が愛されている」というか「ギャグには笑いと一緒に自然に拍手も起こる」んです。

 

腹を抱える笑いじゃないんだけど、自然体でいれる笑い。

 

そんなわけで、小さいころ、桑原和男さんの演じるおばあさんは本当に「こういうおばあさんなんだ」と信じて疑わなかったし(後年、男性だということは理解しました)、辻本茂雄さんのあごはいつまでも伸び続けるものだと思っていた(僕もあごが長いない方なので、そんなコンプレックスを笑いに変えてるのを見て育ったので、「おいしい」と思える感覚が培われたんだと思う。)。

 

そして池野めだかさんの背は「いつか伸びる!僕も一緒に伸ばす!」と思って牛乳を飲んで応援していたんだけれど、いまでもテレビの池田さんは半べそをかいている(もちろんネタでね。)。

 

そんないつもの風景にとても安心する。

 

だから僕は井上竜夫さんこと「たつじい」がお亡くなりになってとても寂しい。

 

井上竜夫さんの私生活のことは全然知らいない。

でも「おじゃましまんにゃ」で現れるたつじいは僕の心のおじいちゃんでした(おばあちゃんは桑原さん)。

 

ご冥福お祈りいたします。

今度帰省した時はコロッケをリクエストして新喜劇をみたいと思います。

headlines.yahoo.co.jp

 

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